映画「東京物語」のラストシーンに現れるのが「尾道市立筒湯小学校」です。 石田ひかりさんが演じた実加が「千津子の事故現場」へ向って坂道を登って来た地点は、1953年8月、小津安二郎監督が「筒湯小学校の木造校舎」を撮影するためカメラをセットしたポジションそのものです。 千津子を演じた中嶋朋子さんの背後に存在するもの、それは映画のスクリーンには映り込みませんが、それが「筒湯小学校」なのです。 大林監督が彼女のお尻を撮影した理由は、「筒湯小学校」の存在に気づいてもらうための演出です。 「筒湯小学校」の教室の窓から平山京子先生が汽車を見送る場面に注目してください。 香川京子さんが演じた京子先生の背後には黒板に掲げられたカレンダーが映り込むのですが、それは「1953年7月の暦」です。 そのカレンダーで「12日」がいったい何曜日なのか注意深く観察してみてください。 驚きますよ、「1953年7月の暦」と「1981年7月の暦」は曜日配列が同一だったのです。 えっ、これってもしかして…… 映画「時をかける少女」には「1983年4月16日(土曜日)の暦」と「1994年4月16日(土曜日)の暦」が現れるのです。 ということは、これは「2033年4月16日(土曜日)の物語」が予定されていることの暗示(いわゆる伏線)だったのではないでしょうか。 どうして「時かけ少女」のエンドロールの最後の最後に「未開花の桜」が現れるのでしょうか。 半世紀後、満開になった原田知世さん(65歳)でもう一本???????
映画「時をかける少女」で尾美としのりさんが演じた堀川吾朗は、どうして映画の中で3度も「俺、ションベン行ってくる」と言うのでしょうか。 それは、映画「転校生」で尾美としのりさんが演じた斉藤一夫が「御袖天満宮」で小便を垂れたからでしょうけれど、それだけが理由なのでしょうか。 実は、このセリフは、小津安二郎監督の映画「東京物語」のパロディー系オマージュなんです。 笠智衆さんが演じた「平山周吉」は、家族との食事の際中に用を足すためいったん席を外しますが、それは一度限りであって3度もトイレに行くことはありませんでした。 では、「東京物語」の3つの異なる場面で同一行動を繰り返したのはいったい誰でしょうか。 それは、香川京子さんが演じた「教師の平山京子」でした。 京子は、勤務先である「尾道市立筒湯小学校」へ出勤する都度、家族に向かって「行って参ります」と告げるのでした。 3度のうち、最初の場面では3回連続で「行って参ります」をごく自然に繰り返しています。 つまり堀川吾朗の「俺、ションベン行ってくる」は、「笠智衆さんの演技」と「香川京子さんのセリフ」の複合系パロディーであったのです。
【Q4】 大林宣彦監督は、映画「ふたり」で浄土寺住職の小林海暢さんをチョイ役出演させています。 なぜでしょうか。 【Q5】 映画「ふたり」のラストシーンで、大林監督は、実加を演じた石田ひかりさんのことを東久保町の坂下から「千津子の事故現場」へ向かって登らせています。 さて、石田ひかりさんが現れた地点は、映画「東京物語」のロケとどんな関係があるのでしょうか。 【Q6】 「千津子の事故現場」を通り過ぎた辺りで、坂道を登る女性は千津子を演じた中嶋朋子さんと替わるのですが、大林監督は、彼女の「顔」でなくその「お尻」を撮影しています。 「女優の顔」でなく「お尻」を撮影したことにはどんな意味があったのでしょうか。
映画「転校生」のラストシーンで、小林聡美さん演じる斉藤一美がトラックを追って駆け出した地点は、小津安二郎監督の映画「東京物語」のオープニングシーンのロケ地です。 1953年8月当時「栗吉材木店の倉庫と看板」があった地は、現在、尾道市本庁舎前の公用車駐車場になっています。 なんと「1982転校生のラストシーン」は「1953東京物語のオープニングシーン」へと繋がっているのです。 でも、実は、これだけではなかったのですよ。 【Q1】 小林聡美さんの背後には「仁井時計店の看板」が、尾美としのりさんの背後には「浄土寺山」がそれぞれはっきり映り込んでいます。 なぜでしょうか。 【Q2】 一美の15歳の誕生日は「1981年7月12日(日曜日)」という設定です。 なぜでしょうか。 【Q3】 一美は、「斉藤一夫の家」の前を出発したトラックを追い駆けて国道2号線浄土寺下交差点を福山方面へ走ったことになっていますが、その場面のロケ地は尾道市本庁舎前の「海岸通り」であり、一美を演じた小林聡美さんは、驚くべきことに、つい先ほど出発したはずの「斉藤一夫の家」へ向かって走っています。 なぜでしょうか。 すべての答えは「東京物語」を注意深く観察するとわかります。
【Q7】 大林宣彦監督は、映画「時をかける少女」で芳山和子を演じた原田知世さんのことを「西方寺普明閣の石灯篭」に腰かけさせ、そこでニセの深町一夫とテレポーテーションとタイムリープについて語らせています。 なぜでしょうか。
尾道市は、どうして小津安二郎監督が「東京物語」の主人公に「平山」という名を付けたのかについて丁寧に説明していません。 「平山」というのは、1741年当時の広島藩尾道町奉行であった「平山角左衛門」がその由来です。 小津監督は、どうして「浄土寺」をロケ地に選んだのでしょうか。 それは、「平山角左衛門」のお墓が「浄土寺」にあるからです。
@SakuraTaishi