@syunkuma8435

菊谷先生の法話を聞いて、とても腑に落ちました。

しつのうざいは~
う~む~けん~
せんぜつだいじょう
む~じょうほ~う

お正信偈を唱えるので精一杯でした。
その意味を受け取ったとき、落雷に打たれたごとしです。

今年は例年とは異なる気候ですね。
私自身も気を付けておりますが、ご自愛ください。

@アウトドアインドア-b6p

近頃、不安定な心持ちのためなのか年齢的なものなのか、穏やかな清流を眺めても心地好い風が吹いても、なんとも言えない無常の不安を覚えます。
このような不安を抱える事は無駄だと思いながらも、沸き上がる不安から逃れられません。

@宏加藤-l7v

ありがとうございます。☺
やっぱり、菊谷先生のお話しが一番わかりやすいです。☺

@sk1478

因果応報であるから、有るものが無いものへと変わることもなければ、その逆も無い。
とにかく僕は現世で、良い種まきをしていき果報を得たいなと思います。今日もありがとうございました。

@hiromaru7109

今日は大変深いお話でした。感謝。

@いわもも-h1g

ありがとうございました

@ksc4850

今日もありがとうございました🙇🙏
(動画視聴メモ)
★仏教の「無我」とは?
〜諸法無我、一切法は因縁生〜
1.無霊魂説
2.因縁和合(固定不変の実体はない)
3.有無の見(断見⇔常見)

@pino365

かなり深淵な内容で、理解し想像するのが難しいです。でも一番知りたいことなのかも… 。脳卒中で一時的に左脳の機能を失ったジル・ボルト・テイラーが後に、「言葉も数字も理解できないが、穏やかで不思議な幸福感に満ちている」と語った言った話が忘れられません。 左脳は、認識、言語、論理の「考える脳」で、自分と外界の境界を生みだしているそうです。一方右脳は、感覚・視覚、直観の「感じる脳」で、右脳優位だと、自分が世界と溶け合って、なんとも言えない幸福に包まれるそうです。まさに涅槃の境地…。
老いとは、再び幼児に還り、左脳の呪縛から解放され、幸せに満ちた揺籠の世界に戻ることなのかもしれませんね…
時がなくなり、世界の全て、凡ゆるものと一体になるのですから、失うものもなく、足りないものもなく、満たされて幸せですよね。もちろん全てがワタシですから憎み争う必要もない。無我は、多分そんな境地に至ることを、教えてくれているんだと思います。チベットの曼荼羅には、憤怒尊、寂静尊、凡ゆる姿の仏が描かれてますが、多分これ、全て同じものですね…。人智を超えたものなので、人によっては悪魔やバケモノにも見えるんでしょうね。私たちには馴染みある人型でないと認識できないですから、もし目の前に現れる際は「優しいお姿」で現れて欲しいなぁ。キリスト教の天使も、忠実に再現すると、子どもや女神じゃ無いですよ。得体の知れないバケモノみたいです。

@UNTIEE159

八丈島の砂浜は黒い

@UNTIEE159

太宰府天満宮の宮司の息子は九州大学を四浪したと聞いたことがある